唯識とは 2015.11.30
2015年 11月 30日
早いものですね。
11月とお別れです。明日から師走になります。
何かと気忙しくなって、残っている仕事をたくさん
しなければなりません。カーテンの洗濯とか。
できるだけでいいのだと、自分を甘やかせると、
ストレスが溜まります。
先日、在家仏教会の講演会で、薬師寺管長さんの
山田法胤師のお話を聴きました。
「唯識(ゆいしき)とは」という演題でした。
識は心ということです。ただ心のみということになります。
唯識教学の根本は、自分がいちばん良いと思っていること。と
教えて頂きました。
熏習(くんじゅう)と言って熏は重いの下にれっかを書きます。
燻製の薫と同じで、「しみこむ」という意味。
人間は生まれ育った、国柄、家柄、人柄がずっしりと沁みこんで
いるのです。
自分の思いで、はかって世の中を見ているのです。
そう、そう。私は自分の思いで判断していたけれど、たくさんの
間違いをしてきたと思います。
自分に沁みこんでいるものがいちばんと思はないで、
広い視野に立って、考えなければと括目の思いで、心が軽く
なったようです。残された少しの余白。少しでも心を正したい
と思っています。
11月とお別れです。明日から師走になります。
何かと気忙しくなって、残っている仕事をたくさん
しなければなりません。カーテンの洗濯とか。
できるだけでいいのだと、自分を甘やかせると、
ストレスが溜まります。
先日、在家仏教会の講演会で、薬師寺管長さんの
山田法胤師のお話を聴きました。
「唯識(ゆいしき)とは」という演題でした。
識は心ということです。ただ心のみということになります。
唯識教学の根本は、自分がいちばん良いと思っていること。と
教えて頂きました。
熏習(くんじゅう)と言って熏は重いの下にれっかを書きます。
燻製の薫と同じで、「しみこむ」という意味。
人間は生まれ育った、国柄、家柄、人柄がずっしりと沁みこんで
いるのです。
自分の思いで、はかって世の中を見ているのです。
そう、そう。私は自分の思いで判断していたけれど、たくさんの
間違いをしてきたと思います。
自分に沁みこんでいるものがいちばんと思はないで、
広い視野に立って、考えなければと括目の思いで、心が軽く
なったようです。残された少しの余白。少しでも心を正したい
と思っています。
by hekiku
| 2015-11-30 20:06