<   2015年 03月 ( 10 )   > この月の画像一覧

弥生の終り  2015.3.31

3月の終りの日になりました。
この月は卒業とか、転勤などの別れ。
希望の進路に進めるよろこび。何かと慌ただしい月でした。
私は関係ないようでも、町の雰囲気で感じております。

今日は娘が来て、庭の手入れをしてくれました。
鉢物の植え替えや、大きくなりすぎたものを剪定したりして、
さっぱりと整えてくれました。

この庭の手入れは、膝と腰の悪い私にはできないことです。
立ったり、しゃがんだりが無理で、いつも娘にしてもらっています。
里山のボランティアをしていますから、山のこと植物のことなど
とてもよく知っているので助かります。

君子蘭の花が咲き始めましたし、水仙、パンジー、ビオラ、チューリップ、など
咲き競っています。チューリップは一つとても大きなのがあって、
真っ赤な花を咲かせていましたが、花びら落ちたので切ってしまいました。

しかし冬の寒い時も、咲き続けているパンジ―などの強さは驚きです。
雨でも、雪でもへこたれないのですから、これには脱帽です。
美しい姿でありながら、強靭な体質とはすごいですね。

サクラが気になるので、近くの公園に行ってみたら、もう満開のちょっと
手前、8分咲きくらいでしょうか。
夕方でしたが、子供たちもたくさんいて、サクラを見に来ているようでした。

誰にとっても、サクラは好きな花なんですね。
いちどにぱっと咲いて、しばらく絢爛たる姿を見せて、ぱっと散る。
短い期間がいさぎよい。

日本国中がサクラで埋め尽くされるのですから、
美しい国です。うれしいですね。

by hekiku | 2015-03-31 20:52

サクラ  2015.3.28

ここ数日、すっかり春らしくなりました。
近くの公園や、あちこちの家の庭にはサクラが咲き始めました。
白っぽいのや、ピンクの濃いものいろいろです。
暖かい陽気に包まれて、サクラを眺めるとほっといたします。

毎日、サクラの開花が知らされて、今が盛りと咲いているのを
見ると心が騒ぎます。どこかへ行かなくても、周りにはいっぱいあって
サクラ見物には事欠かないのですが、でも、どこへいこうかと
考えてしまいます。

娘が、山科疎水を推薦してくれています。
私は、三井寺の三尾神社にも行きたいと思っています。
同じ方向だから、両方行けるのですが、
近ごろの足の弱さでは無理ではないかと、思案しています。

生老病死は人間には定められたことです。
ぐずぐず言うことではありませんが、老いる辛さ、病の苦しさ
死の悲しみ。天網は漏らすことなく、誰にでも押し寄せて来ます。
これをどう乗り越えようかと、苦心いたします。

うかうかと過ごした日々の帳尻は厳しいものです。
良く働き、誠実に生きたつもりでも、振り返れば暗愚そのもの。
目が見えていないのです。

サクラの下に立って、本当の智慧を得たい。
大自然の営みを感じて、本当の強さを得たい。

迷いと弱さの中で、そんなことを考えています。



by hekiku | 2015-03-28 11:11

作る幸せ  2015.3.24

昨日に続いて、今日も寒い。
春の気配濃厚で、日照時間もうんと長くなったので、
うきうきしていたら、真冬のように寒い。
冬物のコートをまた着なおして戸外へ。

暖かかったり、寒かったりの季節の変わり目、
こうして季節は運ばれてくるのですね。

平凡な日々の中で、今日は食事拵えをしながら、つくづく
考えました。この食事を作る幸せを。

おいしいものを作る幸せ。食べる幸せ。
当たり前のようですが、いえ、いえ。当たり前ではない。
私は、外食より家庭料理がいいのです。なぜなら、外食で
おいしいと思うことはあまり無いのです。

私はどちらかというと、味覚に敏感なものですから、妥協できないのです。
「やっぱり家がいい」となります。

歳とともに面倒になってきましたし、しんどい。
でも、おいしいものはどこにある。ない。
だったら、手間でもわが家で作ったものを食べよう。
そこに落ち着きました。
だったら、それを作れることはどんなに幸せなことか。

今日の夕飯は、鮭とマーボー豆腐と蕗の煮つけの三品を作りました。
蕗には、旬の生わかめとちくわを入れて煮つけました。
蕗は昨日に茹でて晒しておきました。
手間がかかったぶん、とてもおいしくできました。

料理好きだから、作っている時は無我夢中。
一刻、一刻のわが命。
一生懸命になれる幸せ。
今日は、それを実感しました。




by hekiku | 2015-03-24 20:52

春暖  2015.3.21

今日は春分の日。
寒かった冬を耐えた者には、この暖かさは極楽のよう。
自然に体が動いてきます。

君子蘭の葉っぱの埃が目についていたので、牛乳で拭いてやりました。
君子蘭は5鉢あります。どれもたくさんの蕾を抱えています。
この季節になると、葉っぱのあいだに潜んでいる蕾を発見して
「えーっ」と驚かされます。

植物というものは可愛いものですね。寒い寒いと縮んでいる人間を
よそみにして、営々と蕾を作っているのですから、
我が家の小さな庭も、これからたくさんの花が咲いて楽しませてくれます。

近ごろ、カラスが喧しいのです。「カアーカアーギャアーギャアー」とカラス同士で
喋っているようです。昨日のこと、ゴミが荒らされました。
うちはちゃんとネットを掛けて、端はゴミの下に挟んで防御はしっかりしてあるのに、
道路にいっぱい広げられました。

その後片付けの腹立たしいこと、人間の動向をよく見ているカラスの頭脳を信じましたね。
少し前まで、そこにいたのにどうしてと、私は完全に負けました。

カラスの鳴き方が異常に喧しいし、たべ物への執着も異常なので、
繁殖期ではないかと思って、調べてみるとやっぱり繁殖期でした。
「ヤツも必死なんだわ」

カラスは洋の東西をとわず、昔から人間とは関係が深いのです。
かなりの知能を持っているとのこと。
さあこれからどのように対処するかです。
知恵比べでは負けそうです。どうしたものか?



by hekiku | 2015-03-21 12:31

大阪城公園梅林  2015.3.18

昨日、大阪城公園の梅林に行ってきました。
谷町6丁目の孫娘の家で昼ご飯を頂いて、地下鉄鶴見緑地線で
森ノ宮に行きました。ポカポカと春のような陽気でしたから
たくさんの人出で賑わっていました。

100品種、1270本の梅は、もう盛りを過ぎて精彩を欠いていましたが、
近年この梅園では、どうもこんな感じらしいです。
というのは管理がうまくできてないらしく、施肥をしないで、
剪定ばかりをしているとか、調べてみるとそんなことが書いてありました。

大阪城のこの場所は昔、石山本願寺のあったところで、
門徒宗と織田信長が戦ったところです。門徒宗が破れて、そこに
大阪城が築かれ、豊臣秀吉の居城となったわけですが、
それもまた、大坂夏の陣で徳川家康に敗れて落城してしまうのです。

今のお城は1931年に建てられたものです。私の生まれた年です。
何回か修復されて、金色の打ちものがしてあって、ピカピカと輝いていました。

私にとっては、この辺りは70年もまえのこと、城東線(環状線)に乗って
学徒勤労動員で天満の工場に行っていましたから、毎日、大阪城を
見ていたのです。その当時はそのあたりは陸軍の砲兵工場でした。
本土空襲で、爆弾攻撃にやられて破壊されていきました。

すごかったですよ。でも女学生の工場通いは続きました。
体験しない人には解らないことですが、毎日が地獄の絵図の中で
生死を超越していたのです。
私は梅よりもそんな回顧が脳裡をしめました。

よくぞ生きているもんだ。あれから70年。
娘に見てもらいながらも、歩数計は1万歩以上。
元気に歩いていることに感謝。感謝。



by hekiku | 2015-03-18 14:52

北陸新幹線開業  2015.3.14

北陸新幹線が開通しました。
東京から金沢まで2時間半といいますから、考えられないくらいの
距離になりました。
私の父は富山県出身ですから、北陸とは縁が深いのです。
私と妹二人は戦争中に疎開していて、富山平野と立山連峰を
毎日見ていたのですから。

地味な立山連峰も表舞台に躍り出たようです。
東京からは、不便なところでした。が、これからは観光、登山など
たくさん来られるのでしょう。
宇奈月、黒部など、ねらい目ですね。
でも、
「荒らさないで」と叫びたい気持ちです。
そっとしておきたい。宝物をいじらないで、という気持ち。

関西の人にはどんなメリットがあるかしら。私は白馬に行くとき
糸魚川から、大糸線に乗っていたから、それが金沢から新幹線になるから
時間的に少し短くなるし、妙高、飯山方面にも興味ありです。

北陸の人が一番喜んでいるでしょう。東京へ2時間半で行けるのですから。
進学も就職も、東京ということになります。
ますます地方の親は、残されてしまいます。

何度か行った立山に、もう一度行きたい。
父の大好きな立山にもう一度行きたいと思っているが、
室堂平で2450Mあって、私は息苦しくて歩けない。
「救心」を飲んだらいいと言われているが、どうも無理のよう
弥陀ヶ原なら2000Mぐらいだから、だいぶらくになる。

せめて、弥陀ヶ原に行って立山を見たい、剣を見たい、大日をみたい。
と、思っているがもう無理かもしれない。

北陸新幹線の開通のニュースを見ると、
またまた北陸への郷愁が湧いてくる。







by hekiku | 2015-03-14 20:34

4年が経ちました。 2015.3.12

東北大震災(2011.3.11)から、4年が経ちました。
復興は簡単ではありません。死者、不明者で19113人。
悲しく苦しく、家族はどうして乗り越えられるでしょうか。
年月とともに薄らいでいくといいのですが。

理不尽なこの天災への憤り。
阪神大震災の被災者として、よくわかります。
人間というものは、こんなに覚束ないものです。
薄氷の上で、生活しているような不安定なものです。
かの地に行かれた犠牲者の鎮魂をお祈りいたします。

今年は終戦後70年になります。
敗戦国として、いうに言われぬことがたくさんありました。
昭和20年3月10日の東京大空襲では10万人の人が亡くなりました。
いまでこそ、ネットをひらいても、
「民間人に被害を与えた大量虐殺とされる」と書いてあります。

日本国を空襲で破壊し、原爆でとどめを刺し、
大量の人を虐殺したこの罪は、いったいどうなるのでしょうか。
歴史というものは、こんなに弱肉強食を許してきたのです。
それは今でも、世界中で行われているのです。
人間って、本当に[罪深い」ものです。

今は日本中で、災害への防備は考えられていますが、
それは地震、津波などの自然災害のこと。
私は言いたい。「天災」だけでない。
[戦争」の怖さをみんなもっと知らなくては。
その防備は如何に?



by hekiku | 2015-03-12 09:50

JR尼崎駅周辺  2015.3.9

よく降ります。
春先はこんなに天候が悪かったのかしら。
今日は洗濯をやめて、明日に送ろうとしたが、明日はもっと荒れるらしい。
主婦にとって、洗濯物がカラッと乾いてほしいので、雨がつづくと
ちょっとイラツク。

昨日は、所用があって息子の車で伊丹へ行った。その後JRの尼崎で
降ろしてもらって、駅の北側にある阪神百貨店に寄ってみました。
ここは、ずっと以前は工場街であった。再開発されて、高層のマンションが
幾棟も建って、すごくきれいな瀟洒な街になってびくり。

私は大阪に出るとき、いつも電車の窓からこの町を見てきました。
10年ほど前、福知山線の脱線事故があって、しばらく停滞していたかも
しれないが、その頃はまだ、広々と閑散とした土地だった。
阪神百貨店ができても、行こうと思ったこともなくいつも素通りして
大阪まで直行便。

たまたま、降りてみて、たくさんの人たちが住む高層のマンションと
買い物客の盛況に目を見張ったわけです。
JRの駅前で、大阪、新大阪もすぐだし、日本全国どこへ行くのにも
最高に便利なところ。快速も新快速も停まります。

世の中はどんどん変わっていくのです。
時代のニーズに合わせて、栄枯盛衰が激しく動きます。

私が甲子園口に住んで60年が経ちました。
嫁してきた頃はまだ機関車が走っていましたのに。
そして、武庫川を渡る時、ピ―と汽笛を鳴らしていました。

時はじっとしていません。
善きように動いてくれますように、と願います。





by hekiku | 2015-03-09 18:10

啓蟄  2015.3.7

昨日は24節気のひとつ啓蟄で、虫たちが動き始めるということですが、
テレビでは、姫路城の樹木のむしろをほどいて、焼却する
のが映っていました。このところ、雨の日が多くて、天候に恵まれません。
今年は特に曇り空が多いようです。
春はそこまで来ています。じっと待っていましょう。

東北大地震から4年を迎えます。
報道番組を見ていると、やっぱり、災害に対処する用意はしておかねば
と思います。で、どれだけの準備ができているかと言えばノーです。

阪神大震災で被害をこうむりながら、また、高齢のよわいを重ねて、
なお、たいした用意をしていないのはどういうことかと。
我ながら腹立たしくなってきました。

その時はその時といっても、高齢者としての心づもりというのが
あると思うのです。運、不運というのがあるとしても、
平素からの姿勢が大きく運命を左右するかもしれません。
この機に、出来ることはちゃんと用意しておきます。

土曜と日曜日は、買い物に行く日に決めています。
キャリーを引いて少し遠くのスーパーまで、あさいちで行ってきます。
歩数計を見ると、往復で2500歩ほど。
これは、かなり有効な運動量になるのです。
最低でも3000歩をキープしたいと思っていますので。

虫たちも動き始めるのだったら、私も、負けないように
動き始めましょう。







by hekiku | 2015-03-07 19:45

桃の節句  2015.3.3

桃の節句、雛祭りの日です。
あいにくと寒くて、曇り空、時々ぱらぱらと降っています。
私の実家では、というより大阪では、雛祭りを4月3日にします。
暖かくなっているし、春休みというのが何よりです。

子供のころは、お雛様を飾るのがとてもうれしかったので、
いまだに5人囃子や右大臣、左大臣の顔を覚えています。
お友達を呼んで、大勢でにぎやかにちらし寿司などを
戴きました。母は、いつもたくさんのお料理をしてくれました。
この歳になって、母の心遣いがよくわかります。

母の命日は3月4日です。
きのう、妹達と北御堂にお参りに行ってきました。
平成3年でしたから、もう24年の歳月が流れました。
北御堂の大きな本堂で、お坊さんは
「仏説阿弥陀経」をあげてくださいました。

私たち姉妹も近頃は、寄る年波で老いの実感を味わっています。
でも、みんなは、この世を去っても、両親のそばにいけると思って
安心しているのではないでしょうか。
親の光はいつまでも私たちを包んでくれるのです。

今日は、息子と二人。晩御飯はふつうの、魚の煮つけにお豆腐。
それと野菜の炒めものです。
来月の3日には、おいしいお寿司を作るつもりです。


by hekiku | 2015-03-03 18:16

おしなべて 花のさかりになりにけり 山の端ごとにかかる白雲  西行


by hekiku
プロフィールを見る