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分からない 2016.3.30

3月の終わりとなりました。
毎日を大事に送っているつもりでも、物事は遅々として
はかどりません。

食事ごしらえと買い物ぐらいの仕事で、一日が過ぎてしまいます。
早く絵を描きたいと思っても、描きかけのまま拡がっています。

3月はかなり寒かったと思うのですが、それも暖かくなれば忘れてしまって
花見にどこへ行こうかと楽しんでいます。

ずっと昔のことですが、仮名文字の教室で、東大寺に写経に行きました。
当時の管長さんである清水公照先生のお話があるというので、
満を持して、永い間の疑問を聞いてみようと決心しました。
当日の私は「人間は何のために生きているのですか」と必死でした。

先生のお答えは「わかりません。おじいさんやおばあさんになっても、
何もわからぬまま死ぬのです。」えっーえっっなんという答え。
私にはショックでした。

歳を重ねて人間はえらくなるものだと思っていました。
大事なことを分からぬままで、生を終えるなんて。
日本の高僧と言われる東大寺の管長さんのお答えはこれでした。

しかし、今そのおばあさんになって、何か分かった?
ザットライと納得できるものがあったでしょうか?
やっぱり私も、何もわからぬままか。

清水公照管長の答えは正確でした。

 少慈少悲の無き身にて 有情利益は思うまじ
 如来の願船いまさずば いかでか苦界を渡るべき
by hekiku | 2016-03-30 17:47

坐禅和讃  2016.3.27

在家仏教講演会を聴きに行ってきました。
その日はとても寒かったのですが、聴き逃したくはないと
堂島アバンザまで足を運びました。

講師は元花園大学長 西村恵信師 
演題は、「白隠禅師坐禅和讃を読む」

西村先生のお話は今までに何度も聞いています。
人間は一人ずつ水の入ったバケツを持っている。底に穴のあいた
バケツからはぽとぽとと水が落ちているが、自分には分からない。
水がなくなれば、終焉の時です。
時を逆算することも教えていただきました。

白隠の坐禅和讃はとてもよく分かる言葉で書いてあります。

 衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
 たとえば水の中にいて 渇と叫ぶが如くなり

最後に「この身即ち仏なり」と結ばれています。

先生は坐ること、坐禅することをお勧めです。
実行したいものだと思っていますが。
「自分を知る」ことが、どんなに大切なものか分かります。

お釈迦さまは、一番幸せな時に疑問を持たれた。
逃れられない人間の苦しみを解決しなければと。
ここが他と大きな違いです。

すごいことですね。根本の問題をどう解決するか。
その思考の高さを思う時、仏教って素晴らしい。
仏教徒でよかったと思いました。
by hekiku | 2016-03-27 08:57

さくら開花  2016.3.22

このところ、体重が増えているので、
考えてみると運動が少ないようです。
ヒザが痛くなってから、ぐっと歩くことが少なくなりました。
それで同じように食べていては、体重の増加も当たり前のこと。

一年ぐらい前でも、毎日3000歩は確実だったのに、
今日この頃では、ほんのちょっと。外出しないこともある。

もっと元気なころは7000から8000歩が毎日のこと。
大阪などに出歩くと、12000ぐらいは平気だった。
おばあさんにしては、行動派だったと思う。

ぐずぐず言わないで、さっさと行動することですね。
で、今日はライフに買い物に行きました。
御代開公園のサクラがぐっと膨らんでいました。
その中で数個の花が開花していました。

テレビで見る開花宣言のように、ひそやかに、かわいらしく、
それでいて、自己主張をしっかりしていました。

 清水へ 祇園をよぎる 桜月夜
 今宵会う人 みな美しき (与謝野晶子)

この歌のように、清水、祇園でサクラを味わいたいと思うのです。
我が家のお墓は大谷本廟ですから、お墓詣りを兼ねていけるのですが、
やっぱり足に自信がなくて。

 世の中に たえて桜の なかりせば
 春の心は のどけからまし (古今集 在原業平)

今年もサクラを見ることができました。
by hekiku | 2016-03-22 19:13

彼岸の中日  2016.3.20

今日は彼岸の中日、春分の日です。
私の結婚記念日です。昭和31年でしたから60年の歳月を
経ましたから、これからは61年目の年です。

現代の家族の在り方と比べると、とても考えられない低い嫁の立場でした。
社会がそうであったから、というわけでなく、個人差はすごく大きかった
と思います。

嫁姑の関係だけでなく、個人としての人格、生き方がその家庭の
カラ―でしたから。

私の夫は一人息子、姉は遠方に嫁いでいました。
母一人子一人の家庭に入ったわけですから、なかなか難しい。

大きな目で見て、「縁」の深さを感じます。
渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」を実行したのです。
その頃は、みんなそんな様子でした。

夫とは50年のご縁(行年80歳)。姑とは47年のご縁(行年103歳)でした。

今考えると、「権化の仁」で、厳しいこと、耐えられぬほどのことは
私に役立っていたように思います。
「権化の仁」とは仏が姿を変えて、私のために鍛えてくださること。

月日は光陰のごとく過ぎ去ります。
元気に60年の年月を送らせていただいていることに
深く感謝しています。
by hekiku | 2016-03-20 09:39

季節の変わり目  2016.3.17

空は青く、明るい陽光なのに、風は冷たい。
季節の変わり目は、寒暖の差は激しい。
今日は20度くらいになるらしいが。

卒業式など、年度の終わり目で世間はなにか慌ただしい。
ほんとうに春暖の日が来るのは、もう少し先。

ヒザのこと。しばらくはマッサージなどして、治療に励む。
それでも回復しなければ、人工関節に。という方向です。
自分自身の努力も足りないと思うのです。
やれることはやってです。

「古い革袋に、新しい葡萄酒を注いではいけない」と
聖書の言葉があります。
これには二通りの解釈ができるそうです。

私の場合も、永年使った膝を新しいものに変えても、
不都合があちこちに出てくるのではないか?ということと

今の医学では、そんなことは当然にクリアされているに違いないと。
ぐずぐずしているうちに、時機を逸してしまうというという心配。

そんなこんなで、しばらく努力してみます。

桜の蕾が大きく膨らみました。
by hekiku | 2016-03-17 08:13

六甲山に雪  2016.3.14

今日の寒さは半端じゃない。
今冬雪がなかった六甲山にも、雪が積もった。
もっと早く降ってくれればよかったのに、とスキー場はいう。

もう、お水取りも終わりというのにこの寒さ。
これが最後の寒さかもしれないので、我慢、我慢。

この寒さでも、植物や動物たちは、じっと辛抱しながらも、
自分たちの出番を待っている。
アセビも花が咲きました。この寒さの中で、つつましく咲き始めました。
暖かくなったら一気に満開になることでしょう。

この一か月、膝の人工関節の手術を受けるかどうか、
いろいろ調べたり、受けた人の話を聞いたりしたが、
心が決まらない。

命が先か、足が先か。
分からないことに迷っているわけです。
今のところ、もう少し、やれることはやってみようと思っています。

桜も見たい。旅行もしたい。
足が痛くなりませんようにと、都合のいいことを考えています。
by hekiku | 2016-03-14 20:21

やっぱり  2016.3.10

やっぱり、お水取りだけあって寒い。寒い。
もう少し、これを乗り越えれば、春が待っている。

沈丁花も特別早かったのですが、今また、君子ランがつぼみを
覗かしています。別に何か手当てをするわけではないのに、
うちの君子ランは、たくさん花が咲くのです。

2.3日前にその蕾を見たときはびっくりしました。
5鉢あるので、しらべてみると、どれも葉の間に緑色の蕾がぎっしり。
4月頃に咲くと思っていたのですが、今年は早い。一か月も。

明日は3月11日。東北大震災の記念日です。
5年の歳月が流れましたが、家族を失った被災者は納得できない
思いでしょう。本当に大きな天災でした。

今日は東京大空襲で、10万人が犠牲になった日です。
これは人災です。戦争という。
想像を絶する襲撃を受けて、人々は倒れました。
そんなひどいことをした相手を、しっかり「知る」ことです。

災害を受けると、人はだれかを恨みます。
それが的外れにならないようにしなければ。

政府が、県が、市役所が、と公的機関に矛先を向ける人が多いようです。
そして、だんだんと他罪主義になって保障、賠償を要求する
世の中になってきました。

一人一人がしっかり自己責任をとれるようにしなければと
思っています。
by hekiku | 2016-03-10 19:45

春暖の日  2016.3.6

今日は春暖の日です。
関西では、東大寺のお水取りが済むまでは暖かくならないと
言いますが、どうでしょうかね。
「寒さも暑さも彼岸まで」とも言われていますが、彼岸になっても
寒い日はあります。でも、今年はもう、山も笑っていますから
早く暖かくなりそうです。

少し暖かくなっただけで、私はかなり元気になりました。
寒い間、ダラダラと暮らしていました。怠けているとストレスが
溜まります。さっさとしたいことを行動に移さないと、と
思っていますが。

近年、日本の仏教は恐ろしく衰退しました。
それは他の宗教でもそうらしいですが。
これを末法の時代というのでしょうか。
正法時、像法時、末法時と言って、仏教の興隆の三時を
示されていますが、教法は存在するが、修行を行うものが無く、
悟りの証もえられない時期と辞書にはあります。

在家仏教の四月号には、「仏道の完成は死後でなく、生きている今」という題で、
波佐間正己師が本願寺に厳しい問いを投げかけておられます。

死んで、極楽浄土に往生するのではなく、即生と言って
死後のことではなく、今、佛の教えを会得して仏道を完成することにが、
お釈迦様や親鸞聖人の願いであると、おっしゃっています。

既成の宗教でも時代の推移に遅れていては、新しい宗教に持っていかれます。
従来のしきたりに安住することなく、活発に動いてほしいものです。
by hekiku | 2016-03-06 15:34

久方の  2016.3.3

 久方の 天の香久山 この夕べ
 霞たなびく 春立つらしも  (万葉集 柿本人麻呂) 

春の気配が濃厚となり、日差しがぐっと明るくなりました
今日は3月3日。ひな祭りの日です。
うちでは、別にそれらしきことはしないので、夕食は手巻き寿司に
と思っているぐらいです。

子供のころは、母がばら寿司を作ってくれました。
それに、ハマグリのお吸い物です。ワケギのぬたもありました。

おおぜいの子供とその友達を招いての、にぎやかなひな祭りを
母はしてくれていたのです。

安易に、簡略にすることが今の風潮ですから、
母がしていたことは、気が遠くなるような、努力の賜物です。

黄緑の菜の花に桃のピンクはよく合いますね。
ひな祭りの象徴です。

病室の母の枕元には、菜の花と桃を飾っておりました。
母のたくさんある自作の俳句を、私は読みあげました。
 吹き競う 口笛どれも 早春賦
 谷の水 うましと老鶯 ほしいまま
その静謐な空気の中で、母は静かに目をつむっていました。
それは、平成3年のこと。
3月4日が命日です。行年85歳。

自分がその歳になっても、1日として父のこと母のことを
忘れる日はありません。
両親と対話しながら生きているのです。
両親はわたしの仏です。
by hekiku | 2016-03-03 08:51

おしなべて 花のさかりになりにけり 山の端ごとにかかる白雲  西行


by hekiku
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