ダウン

もう、2週間になります。風邪でダウンして。
セキがきつくって困っています。これは私の持病みたいなもので、難しい言葉で言えば、「宿痾」のやまいなのです。

いちど風邪を引くと、セキで七転八倒して苦しむだけ苦しまなければ治らないのです。一ヶ月ぐらいはかかります。こんな弱い人はほかに出会ったことはありません。効くといわれることはやってみるのですが、時期がこないと治らないようです。

今回は、こんなになるのに思い当たることがあります。
「ノドが痛い」とかぜの最初の兆候がありながら、石垣島にいったことです。
あったかい所に行くから大丈夫と、軽く考えました。
ところが2泊3日のスケッチ旅行が、3日間ずっと雨だったのです。
休養の日々を送りながら考えるのに、行きたいと思ったらいく。
その自分の欲の深さを思うのです。自分の来し方を考えても、
この「欲」は「意思」とは違うと思うのですが、もう、年をとったのですから
おとなしくすることが、肝要かと思っています。
# by hekiku | 2007-01-26 21:56

温暖

温暖な日がつづきます。

倉本 聡さんの文章の中に、「地球温暖化」というのは不謹慎な言葉だ。
温暖とは暖かくて快適ということ。「地球高温化」というべきとだとありました。
北海道の大自然の中にいると「高温化」というのがよく分かるそうです。
私たちには、その機会が少ないといっても、「お正月は暖かだった」と
喜ぶ半面、厳しい寒さを懐かしく思ったりします。
そして、みんなの胸に「こんなんでいいのかしら」と不安がよぎります。

倦むほどの物質と、快適な生活環境に恵まれ、自然までが、
真冬というのに温暖な気候をもたらしてくれると人間はどうなるのでしょう。
感覚が鈍り、霊性を喪失して、ただの動物になってしまうのではないでしょうか。

地球という星が、健全な姿で少しでもながく存続して欲しいものです。
私たちが乗っかっている「星」ですもの。
だれか、地球規模で指導してくれる英雄はいないでしょうか。
# by hekiku | 2007-01-11 09:52

2007年元旦

平成19年1月1日元旦の朝を迎えました。
穏やかな天候に恵まれて、静かなお正月独特の雰囲気です。

小さな我が家の庭には、今、赤い山茶花と、白い山茶花がきれいに咲いています。
白いのは、一重で、その透き通るような繊細な花びらを毎朝一ひら二ひら散らしています。
赤いほうは、八重でいつもの年より大輪です。その年その年によって、様子が違います。
でも花は人間に比べて、年々歳々花同じく、歳々年々人同じからずです。

心と体は別物といいますから、今年はしっかり強い心で、弱い体を支えていかなければと、思っています。
# by hekiku | 2007-01-01 09:59

お正月の準備


あと4日で、2006年も終わります。
スケジュールを書いています。何でも、書くことが肝心です。
でも、そのメモをどこへ置いたか分からず捜す、どうどうめぐりです。

明日は、いつものTさんが掃除に来てくれます。もう7年目、1週間に一度我が家の掃除をお願いしています。感謝、感謝、神様からのお使いと思っています。

29,30日は、孫娘がおせちの準備を手伝ってくれるらしい。
東京の大学に行っている姉と、高校生の妹の二人が来てくれるという。
あれもこれもと、気がはやるが果たしてどんなものができるだろう。

スーパーは2日から営業するという。あまり買い込む必要はない。
しかし、何でも「ラクなように」「面倒なことはしない」では、けじめがなくてタガがはずれた人間になってしまう。

いつも、何か新しい料理をやってみるが、今年は、伊達巻と栗きんとんに挑戦しようと思っている。

日日是好日、押しつまった年末もきっといい日になるだろう。
# by hekiku | 2006-12-27 22:50

年末

久しぶりのブログの書き込みです。
世はクリスマスの雰囲気ですが、何故か私はこの一ヶ月ぜんぜん気がのらず、パソコンもあまり触ることなく過ごしました。
といっても、なまけものを決め込んでいたのではありません。
毎日、あちこち動き回っていたのですが。
このむなしい気分は、一過性のものか分かりませんが、
いよいよ、老いとの戦いが始まったと感じました。

父は、「老いは自分とのたたかい」といっていたのが、思い出されます。
永い間の、忙しい生活が、歳をかさねても変わることなく続けていること。
これは、もう変えなければなりません。
ゆっくり暮らすようにします。そうしなければと思っています。

あと、十日で、今年も終わりです。
# by hekiku | 2006-12-21 19:30

植木屋さん

昨日は、植木屋さんが来てくれました。
いつも父親と息子でペアーを組んで。
この植木屋さんは、とてもウマイ。
剪定といっても職人さんの感性みたいなもので
いわば芸術です。

きめが細かく、行き届いているところは、100点
こちらが希望することをよく掴んでいるのです。
私は、うれしいから、仕事の後をなんべんも見るのです。
そして満足しています。

植木屋さんもよろこんで帰りました。
剪定してもらった植木達もよろこんでいます。
# by hekiku | 2006-11-28 21:13

自己中心

先ほどの文章を書いて、お昼のご飯にしました。
食べながら考えました。足りない。

仏教でいう七施のなかに顔施、言辞施というのがあります。
それは今までによく聴いておりました。
そして、それがどんなに大切のことかわかっていたつもりです。

でも、それはあくまでも、自分を中心にしたことで、「施」という言葉からもわかるように、「してあげる」というものだったのです。

このたびは、あくまでも他を中心にしての美しい顔であり、
やさしい言葉であるのです。
それには謙虚な心が伴います。
人を愛する深い心が要ります。

やってみたいと思います。
# by hekiku | 2006-11-26 12:17

自分の顔

先日、仏教講演会で比叡山延暦寺の小林隆彰師のお話を聴きました。
「自分の顔は自分のものでない」とのことです。
「自分の顔は相手のもの」と聴きました。

70年以上も生きてきて、初めて気がつきました。
そうですそうです。顔も言葉も相手のものなのです。
なんと仏教的な考えなのでしょうか。

にこやかな顔でも、不機嫌な顔でも自分には見えないのです。
見ているのは相手です。柔らかい言葉でも、きつい言葉でも
受け取るのは相手です。

もう、余白は少しになりました。私にできることはこれしかない。
美しくなろう。笑顔えお忘れず。
言葉に細心の注意を払って、
さわやかに明るい言葉を使えるように。

やってみます。
# by hekiku | 2006-11-26 11:20

六道の辻

深まりゆく秋を惜しんで京都に行ってきました。
梅原猛先生の、「京都発見」という本の中身を辿っていくのです。

わだの原 八十島かけて こぎ出でぬと
人にはつげよ あまのつり船

百人一首のわたしの大好きな歌の作者、小野篁(たかむら)ゆかりの寺である六道珍皇寺に行きました。篁は高級官僚でありながら、夜は冥府にいって、閻魔大王のよこで、地獄行きの審判をしていたのです。
珍皇寺の井戸から冥府に行ったといわれています。

閻魔大王と並んでいる篁の像も、井戸も小さな格子戸の窓から見るだけです。
このあたり、六道の辻は鳥辺山に亡くなった人を葬送する別れの場所です。

京都の人は、今もお盆には珍皇寺の「迎え鐘」を撞いて、
先祖をお迎えするという。古くからの風習があるらしいです。

近くのお店で「幽霊の子育て飴」をかいました。
混じりけのない麦芽糖の美味しい飴でした。
# by hekiku | 2006-11-23 10:45

10年ぶり

30年も前に、私のところで書道をしていたSさんが、来てくれました。

Sさんは東京の人。
手紙とか、電話とかで、交信はあるが、会うのは10年ぶり。
地震の後、東京から訪ねてくださった。
今回は、私の夫の仏前におまいりしてくださった。

遠く離れていても大事なところは、きちっと行動の取れる人。
おもいやりのある、本当に優しい人だと思う。

私も,Sさんのようになりたい。
# by hekiku | 2006-11-13 22:03

おしなべて 花のさかりになりにけり 山の端ごとにかかる白雲  西行


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