沈丁花

我が家のじんちょうげは、今、満開で高貴な香りをまわりに漂わせている。
「いいにおいがします。なんの匂いでしょう。」と訪れた人にも喜ばれている。
「じんちょうげですよ、コレ見てください。」というと、顔を近づけて、花のそばで、クンクンしながら、堪能するほど香りをすいこむ人もいる。

ブロッグの書き込みもしないで、しばらく「ナマケモノ」をしていた。
「気力の湧かないときもあるさ。」と自分を甘やかしても、ストレスがたまるだけでなんの解決にもならない。

昨日は、在家仏協の講演会に行ってきた。花園大学の元学長さんの西村恵信師の「白隠さんの座禅和讃を読む」という演題であった。
私は、浄土真宗の話ばかりを聴いていて、他宗のことは「自力修行」の教えだと合点していたので、無知文盲の限りであった。

西村先生は、すごく博学でたくさんの本を出しておられるかたで、最高の知識と、柔らかいお人柄で、聴衆を魅了してやまない内容でした。

「衆生 本来仏なり 水と氷のごとくにて、 水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし。」「衆生 近きを知らずして、遠く求むるはかなさよ。たとえば水の中にいて、渇を叫ぶがごとくなり。

「六趣輪廻の 因縁は、己が愚痴の闇路なり。 闇路に闇路を踏み越えて、いつか生死を 離るべき。」

「いわんや自ら回向して、直に自性を証すれば、自性即ち無性にて、すでに戯論を離れたり。 因果一如の 門ひらけ、無二無三の道直し。
無相の相を 相として、行くも帰るも余所ならず。 無念の念を 念として、うたうも舞うも法の声。三昧無碍の 空広く、円明の 月さえん。」

「此の時 何をか求むべき。寂滅現前する故に、当所即ち蓮華国、この身 即ち仏なり。」

もっともっと、聴きたい。たくさんたくさん教えて欲しい。
えらい先生はたくさんおられる。もう、怠けてなんかおれるものか。

知らないことを知ること。教えてもらうこと。これほどの喜びはない。
# by hekiku | 2007-02-24 13:50

一周忌

昨日は、夫の一周忌の法要をしました。
去年の秋口に頼んででおいたホテルの法要プランでお願いしました。
わたしのセキももう鎮まってきたので、ヤレヤレというところ。

どんなことも、すーっとうまくいかないものです。今回は、お寺はんが、
みんな席について、シーンと静まり返っているのに、来られないのです。
数日前に、再度お願いにあがったのに。どうしてーーー。

しかし、永い間生きているとこういうこともあるのです。
どんなに力を尽くしても思わぬことがあるものです。
パーフェクトというわけにはいかないのです。

これをすんなりと、受け入れることが大事なんです。
「南無阿弥陀仏」と大声で、美しい声で、お経をあげられた中には
「どうもすみません」という心が入っているように思えました。
夫も、有縁の人がおおぜい来てくださったのできっと喜んでいたでしょう。

そうそう、近頃、「千の風になって」という歌が、はやっています。
「私は、お墓の中にいません。千の風になって大空をかけています。」
というのです。妹が歌詞をかいてくれました。わたしの心が少しでも癒されるようにとの心づかいです。

私はうれしいのです。それは、「死」とはそういうものだと、
以前から思っていたのです。
肉体の衣を脱ぎ捨てて、大空をかけめぐる。そう思うと、
「死」を受け入れられるのです。
らくなのです。
# by hekiku | 2007-02-11 12:29

あすは節分

はやくも、2月になりました。
明日は節分です。
私が子供の頃は、イワシを食べてその頭をヒイラギの枝に刺して戸口に飾りました。鬼がイワシの頭の青く光るのに驚き、ヒイラギのぎざぎざの葉っぱに刺されて退散するというのです。

4日は立春です。ええ言葉ですね。希望にみちみちています。
私も、セキを吹っ飛ばして、この2月を元気で乗り切らねば。
哲人、中村天風先生は、からだが病気でも、心まで病むことはない。
と、つねづね言っておられます。

昨日は、太極拳に行ってきました。先生いわく
「自分のからだが何を言っているかよく聞きなさい」と。
心地よく、動いてきました。
取捨選択をして、余分なものはそぎ落とさないと。
そう思っているのですが。
# by hekiku | 2007-02-02 18:45

ダウン

もう、2週間になります。風邪でダウンして。
セキがきつくって困っています。これは私の持病みたいなもので、難しい言葉で言えば、「宿痾」のやまいなのです。

いちど風邪を引くと、セキで七転八倒して苦しむだけ苦しまなければ治らないのです。一ヶ月ぐらいはかかります。こんな弱い人はほかに出会ったことはありません。効くといわれることはやってみるのですが、時期がこないと治らないようです。

今回は、こんなになるのに思い当たることがあります。
「ノドが痛い」とかぜの最初の兆候がありながら、石垣島にいったことです。
あったかい所に行くから大丈夫と、軽く考えました。
ところが2泊3日のスケッチ旅行が、3日間ずっと雨だったのです。
休養の日々を送りながら考えるのに、行きたいと思ったらいく。
その自分の欲の深さを思うのです。自分の来し方を考えても、
この「欲」は「意思」とは違うと思うのですが、もう、年をとったのですから
おとなしくすることが、肝要かと思っています。
# by hekiku | 2007-01-26 21:56

温暖

温暖な日がつづきます。

倉本 聡さんの文章の中に、「地球温暖化」というのは不謹慎な言葉だ。
温暖とは暖かくて快適ということ。「地球高温化」というべきとだとありました。
北海道の大自然の中にいると「高温化」というのがよく分かるそうです。
私たちには、その機会が少ないといっても、「お正月は暖かだった」と
喜ぶ半面、厳しい寒さを懐かしく思ったりします。
そして、みんなの胸に「こんなんでいいのかしら」と不安がよぎります。

倦むほどの物質と、快適な生活環境に恵まれ、自然までが、
真冬というのに温暖な気候をもたらしてくれると人間はどうなるのでしょう。
感覚が鈍り、霊性を喪失して、ただの動物になってしまうのではないでしょうか。

地球という星が、健全な姿で少しでもながく存続して欲しいものです。
私たちが乗っかっている「星」ですもの。
だれか、地球規模で指導してくれる英雄はいないでしょうか。
# by hekiku | 2007-01-11 09:52

2007年元旦

平成19年1月1日元旦の朝を迎えました。
穏やかな天候に恵まれて、静かなお正月独特の雰囲気です。

小さな我が家の庭には、今、赤い山茶花と、白い山茶花がきれいに咲いています。
白いのは、一重で、その透き通るような繊細な花びらを毎朝一ひら二ひら散らしています。
赤いほうは、八重でいつもの年より大輪です。その年その年によって、様子が違います。
でも花は人間に比べて、年々歳々花同じく、歳々年々人同じからずです。

心と体は別物といいますから、今年はしっかり強い心で、弱い体を支えていかなければと、思っています。
# by hekiku | 2007-01-01 09:59

お正月の準備


あと4日で、2006年も終わります。
スケジュールを書いています。何でも、書くことが肝心です。
でも、そのメモをどこへ置いたか分からず捜す、どうどうめぐりです。

明日は、いつものTさんが掃除に来てくれます。もう7年目、1週間に一度我が家の掃除をお願いしています。感謝、感謝、神様からのお使いと思っています。

29,30日は、孫娘がおせちの準備を手伝ってくれるらしい。
東京の大学に行っている姉と、高校生の妹の二人が来てくれるという。
あれもこれもと、気がはやるが果たしてどんなものができるだろう。

スーパーは2日から営業するという。あまり買い込む必要はない。
しかし、何でも「ラクなように」「面倒なことはしない」では、けじめがなくてタガがはずれた人間になってしまう。

いつも、何か新しい料理をやってみるが、今年は、伊達巻と栗きんとんに挑戦しようと思っている。

日日是好日、押しつまった年末もきっといい日になるだろう。
# by hekiku | 2006-12-27 22:50

年末

久しぶりのブログの書き込みです。
世はクリスマスの雰囲気ですが、何故か私はこの一ヶ月ぜんぜん気がのらず、パソコンもあまり触ることなく過ごしました。
といっても、なまけものを決め込んでいたのではありません。
毎日、あちこち動き回っていたのですが。
このむなしい気分は、一過性のものか分かりませんが、
いよいよ、老いとの戦いが始まったと感じました。

父は、「老いは自分とのたたかい」といっていたのが、思い出されます。
永い間の、忙しい生活が、歳をかさねても変わることなく続けていること。
これは、もう変えなければなりません。
ゆっくり暮らすようにします。そうしなければと思っています。

あと、十日で、今年も終わりです。
# by hekiku | 2006-12-21 19:30

植木屋さん

昨日は、植木屋さんが来てくれました。
いつも父親と息子でペアーを組んで。
この植木屋さんは、とてもウマイ。
剪定といっても職人さんの感性みたいなもので
いわば芸術です。

きめが細かく、行き届いているところは、100点
こちらが希望することをよく掴んでいるのです。
私は、うれしいから、仕事の後をなんべんも見るのです。
そして満足しています。

植木屋さんもよろこんで帰りました。
剪定してもらった植木達もよろこんでいます。
# by hekiku | 2006-11-28 21:13

自己中心

先ほどの文章を書いて、お昼のご飯にしました。
食べながら考えました。足りない。

仏教でいう七施のなかに顔施、言辞施というのがあります。
それは今までによく聴いておりました。
そして、それがどんなに大切のことかわかっていたつもりです。

でも、それはあくまでも、自分を中心にしたことで、「施」という言葉からもわかるように、「してあげる」というものだったのです。

このたびは、あくまでも他を中心にしての美しい顔であり、
やさしい言葉であるのです。
それには謙虚な心が伴います。
人を愛する深い心が要ります。

やってみたいと思います。
# by hekiku | 2006-11-26 12:17

おしなべて 花のさかりになりにけり 山の端ごとにかかる白雲  西行


by hekiku
プロフィールを見る