1.17
2010年 01月 18日
阪神大震災の被災者として、
どうしてこの日を忘れることができましょう。
まわりで5人の犠牲者を出しましたから、
自分の家のことなど、考えられませんでした。。
わが家は倒れたわけではありませんが、近隣はどの家も
「全壊」のシールが貼られました。それぐらい被害は甚大でした。
地震は不思議なもので、稲妻のように「すじ」になって走るのです。
そして川を過ぎるごとに、力は弱まっていきます。
この筋の家はひどい被害でも、一筋違えば被害は軽くて、
信じられないくらいです。
幸い私たちは、阪急線の塚口にマンションがありましたから、
そこに避難しました。尼崎市は武庫川を挟んで対岸にあるのですが、
インフラは今までどおり、なんの不自由もありませんでした。
私は、友達を亡くしました。民生委員としてずっと一緒に行動していたのです。
その日も会合に出る予定でした。
彼女の家は、隣の北町です。昔の大きい家でした。
その家が倒れて、ご主人とお孫さんと3人が亡くなられました。
我が家のお向かいも昔からの大きい家でした。
やっぱり全壊しました。お嬢さんが亡くなられました。
その家族の悲しみやいかばかり。とても推し量れるものではありまん。
合掌
どうしてこの日を忘れることができましょう。
まわりで5人の犠牲者を出しましたから、
自分の家のことなど、考えられませんでした。。
わが家は倒れたわけではありませんが、近隣はどの家も
「全壊」のシールが貼られました。それぐらい被害は甚大でした。
地震は不思議なもので、稲妻のように「すじ」になって走るのです。
そして川を過ぎるごとに、力は弱まっていきます。
この筋の家はひどい被害でも、一筋違えば被害は軽くて、
信じられないくらいです。
幸い私たちは、阪急線の塚口にマンションがありましたから、
そこに避難しました。尼崎市は武庫川を挟んで対岸にあるのですが、
インフラは今までどおり、なんの不自由もありませんでした。
私は、友達を亡くしました。民生委員としてずっと一緒に行動していたのです。
その日も会合に出る予定でした。
彼女の家は、隣の北町です。昔の大きい家でした。
その家が倒れて、ご主人とお孫さんと3人が亡くなられました。
我が家のお向かいも昔からの大きい家でした。
やっぱり全壊しました。お嬢さんが亡くなられました。
その家族の悲しみやいかばかり。とても推し量れるものではありまん。
合掌
by hekiku
| 2010-01-18 09:06