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サクラ満開  2016.4.2

今日は暖かくて、サクラがパーッと開きました。
近くの公園に行ってきました。
行ってくるといっても、お買い物の途上ですから、二つの公園を
まわって、サクラを見てきました。

今日が一番のサクラ見物日ではないかと思いました。
満開の木のなかで、もう散っているのがありました。
その木は、10日ほど前にサクラ開花としてブログに書いた木です。
それが、風が吹くたびに、いっぱい花びらを散らしたいるのです。
花吹雪ですね。花の命は短くて、、、、というところ。

先日から、娘と一緒に北海道の支笏湖にいくプランを考えたのですが、
サクラは5月の前半ではないかと思うのです、しかしまだ寒い。
北海道に行くのは、時期を考えなくてはなりません。
それに私のヒザの問題もありますし、

北海道といっても支笏湖は千歳に近いので、行きやすいところです。
この痛い足を引きずってまで、旅をしたい自分の我欲にあきれます。
どんなことも、自分の責任で選択をしなければならないのに。

在家仏教会から手紙が来ました。
「在家仏教」という雑誌は昭和27年に発刊されて、65年間の
歴史ある月刊誌です。
私の家では昭和56年からずっと購読しています。35年間
それが、来年の4月号で休刊になるとのこと。

ショックでした。
仏教の伝播、啓蒙に尽くされた加藤弁三郎先生や
他の多くの先生方のご努力がもったいなくて。

また、今の世の中の推移が恐ろしく思われました。
既成の宗教が受け入れられなくなって、これからはどうなる?
そんなこんなで、時の大きな流れに心配しています。
# by hekiku | 2016-04-02 20:45

分からない 2016.3.30

3月の終わりとなりました。
毎日を大事に送っているつもりでも、物事は遅々として
はかどりません。

食事ごしらえと買い物ぐらいの仕事で、一日が過ぎてしまいます。
早く絵を描きたいと思っても、描きかけのまま拡がっています。

3月はかなり寒かったと思うのですが、それも暖かくなれば忘れてしまって
花見にどこへ行こうかと楽しんでいます。

ずっと昔のことですが、仮名文字の教室で、東大寺に写経に行きました。
当時の管長さんである清水公照先生のお話があるというので、
満を持して、永い間の疑問を聞いてみようと決心しました。
当日の私は「人間は何のために生きているのですか」と必死でした。

先生のお答えは「わかりません。おじいさんやおばあさんになっても、
何もわからぬまま死ぬのです。」えっーえっっなんという答え。
私にはショックでした。

歳を重ねて人間はえらくなるものだと思っていました。
大事なことを分からぬままで、生を終えるなんて。
日本の高僧と言われる東大寺の管長さんのお答えはこれでした。

しかし、今そのおばあさんになって、何か分かった?
ザットライと納得できるものがあったでしょうか?
やっぱり私も、何もわからぬままか。

清水公照管長の答えは正確でした。

 少慈少悲の無き身にて 有情利益は思うまじ
 如来の願船いまさずば いかでか苦界を渡るべき
# by hekiku | 2016-03-30 17:47

坐禅和讃  2016.3.27

在家仏教講演会を聴きに行ってきました。
その日はとても寒かったのですが、聴き逃したくはないと
堂島アバンザまで足を運びました。

講師は元花園大学長 西村恵信師 
演題は、「白隠禅師坐禅和讃を読む」

西村先生のお話は今までに何度も聞いています。
人間は一人ずつ水の入ったバケツを持っている。底に穴のあいた
バケツからはぽとぽとと水が落ちているが、自分には分からない。
水がなくなれば、終焉の時です。
時を逆算することも教えていただきました。

白隠の坐禅和讃はとてもよく分かる言葉で書いてあります。

 衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
 たとえば水の中にいて 渇と叫ぶが如くなり

最後に「この身即ち仏なり」と結ばれています。

先生は坐ること、坐禅することをお勧めです。
実行したいものだと思っていますが。
「自分を知る」ことが、どんなに大切なものか分かります。

お釈迦さまは、一番幸せな時に疑問を持たれた。
逃れられない人間の苦しみを解決しなければと。
ここが他と大きな違いです。

すごいことですね。根本の問題をどう解決するか。
その思考の高さを思う時、仏教って素晴らしい。
仏教徒でよかったと思いました。
# by hekiku | 2016-03-27 08:57

さくら開花  2016.3.22

このところ、体重が増えているので、
考えてみると運動が少ないようです。
ヒザが痛くなってから、ぐっと歩くことが少なくなりました。
それで同じように食べていては、体重の増加も当たり前のこと。

一年ぐらい前でも、毎日3000歩は確実だったのに、
今日この頃では、ほんのちょっと。外出しないこともある。

もっと元気なころは7000から8000歩が毎日のこと。
大阪などに出歩くと、12000ぐらいは平気だった。
おばあさんにしては、行動派だったと思う。

ぐずぐず言わないで、さっさと行動することですね。
で、今日はライフに買い物に行きました。
御代開公園のサクラがぐっと膨らんでいました。
その中で数個の花が開花していました。

テレビで見る開花宣言のように、ひそやかに、かわいらしく、
それでいて、自己主張をしっかりしていました。

 清水へ 祇園をよぎる 桜月夜
 今宵会う人 みな美しき (与謝野晶子)

この歌のように、清水、祇園でサクラを味わいたいと思うのです。
我が家のお墓は大谷本廟ですから、お墓詣りを兼ねていけるのですが、
やっぱり足に自信がなくて。

 世の中に たえて桜の なかりせば
 春の心は のどけからまし (古今集 在原業平)

今年もサクラを見ることができました。
# by hekiku | 2016-03-22 19:13

彼岸の中日  2016.3.20

今日は彼岸の中日、春分の日です。
私の結婚記念日です。昭和31年でしたから60年の歳月を
経ましたから、これからは61年目の年です。

現代の家族の在り方と比べると、とても考えられない低い嫁の立場でした。
社会がそうであったから、というわけでなく、個人差はすごく大きかった
と思います。

嫁姑の関係だけでなく、個人としての人格、生き方がその家庭の
カラ―でしたから。

私の夫は一人息子、姉は遠方に嫁いでいました。
母一人子一人の家庭に入ったわけですから、なかなか難しい。

大きな目で見て、「縁」の深さを感じます。
渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」を実行したのです。
その頃は、みんなそんな様子でした。

夫とは50年のご縁(行年80歳)。姑とは47年のご縁(行年103歳)でした。

今考えると、「権化の仁」で、厳しいこと、耐えられぬほどのことは
私に役立っていたように思います。
「権化の仁」とは仏が姿を変えて、私のために鍛えてくださること。

月日は光陰のごとく過ぎ去ります。
元気に60年の年月を送らせていただいていることに
深く感謝しています。
# by hekiku | 2016-03-20 09:39

清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 今宵会う人 皆美しき 晶子


by hekiku